【出典】(西漢)司馬遷『史記・平原君虞卿列伝』
【意味】毛遂(もうすい):戦国時代、趙国の平原君の門客(もんかく)の一人。薦(すす)める:推薦する、推挙する。門客の一人である毛遂が自分から名乗り出るという故事から、「自ら進んで志願する」という意味の故事成語。
【歴史典故】
趙国の平原君は、戦国四公子として有名な人物であり、その門下には数千人もの食客がいたと伝えられている。毛遂もその一人であった。紀元前257年、秦の軍隊が趙の都・邯鄲を包囲したため、趙の恵文王は平原君を楚国に派遣し、援軍を要請させた。しかし楚王は簡単には承諾しない相手であったため、平原君は20人の門客を連れて行った。交渉で合意できればよいが、万が一それが失敗した場合は武力で楚王に承諾を迫ろうという計画だった。しかし、人選を検討していると、まだ一人足りなかった。
その時、一人の人物が立ち上がり、平原君に言った。「主君、私は自分自身が同行する資格があると考えます。」
平原君は見慣れない顔だったので、尋ねた。「お前は誰だ?わが門下にどれくらいいるのか?」
その門客は答えた。「私は毛遂といい、すでに3年間お仕えしております。」
平原君は言った。「才能のある人物は、袋の中の錐(きり)のように、すぐにその先が現れるものだ。お前はこれほど長い間わが門下にいるのに、誰もお前を称賛する声を聞いたことがない。つまり、お前の才能は並み以下である。今回の任務は極めて重大である。やはり辞退したほうがよいだろう。」
毛遂は答えた。「まさに、あなたが錐を袋の中に入れなかったからこそ、先が現れなかったのです。」平原君は毛遂の言葉の意味の深さに感心し、ちょうど他に適任者が見つからないこともあり、彼を連れて行くことを決めた。
楚国に到着すると、楚王はやはり秦に抗する合縦同盟を結ぶつもりはなかった。他の門客たちが途方に暮れていると、毛遂は慌てることなく剣を手に取り、平原君と楚王の前に進み出た。楚王が彼に退くよう命じたが、毛遂は剣に手をかけたまま言った。「人数が多いからといって、私を威嚇する必要はありません。今私はあなたからわずか十歩の距離にいます。私の主君もここにおられます。なぜ怒るのですか!」
楚王は彼が剣を持っているのを見て、穏やかに言った。「では、先生の高論をうかがいましょう。」そこで毛遂は、趙国と同盟を結ぶことは百の利あって一の害もないことを楚王に詳しく説明した。楚王はこれを聞いて直ちに平原君と血を混ぜて盟約を結び、春申君の黄歇を大将に任命し、8万の大軍を率いて、堂々と趙国を救出に向かわせた。こうして毛遂は、平原君や他の門客たちの尊敬を勝ち取り、一躍有名になった。