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善に従うは水の流れの如し

By 故事大全 , 4 September 2025

【出典】(春秋時代)左丘明『左伝・成公八年』

【意味】「従」は従うことで、「善」は良いこと、正しい(意見)を指し、「如流」は流水のように流れるさまを意味する。他人の正しい意見を、流れゆく水のように素早く、自然に受け入れること。正しい意見を喜んで受け入れ、善意の諫言に従うことをたとえる。

【歴史典故】

欒書(らんしょ)は、春秋時代の晋国の上卿で、幾度も軍功を立てたため、中軍元帥に昇進した。紀元前585年、楚は数万の精鋭軍隊を派遣して鄭を攻撃し、鄭はこれに敵わず晋に救援を求めた。晋景公は欒書に命じて軍隊を率い、鄭を救わせた。欒書の軍隊が鄭の国境に入ったばかりのとき、楚軍と遭遇した。楚軍は晋軍の勢いの強さを見て、ただちに撤退して本国へ帰ってしまった。

欒書はそのまま撤兵するのを望まず、楚と同盟関係にある蔡を攻撃することにした。力の弱い蔡は晋の侵攻を目の当たりにし、急いで使者を楚に派遣して救援を求めた。楚はもともと晋と正面から戦うつもりはなかったが、蔡からの救援要請があり、明らかに戦いを避けられない状況となった。そこで楚王は公子申(こうししん)と公子成(こうしせい)を派遣し、軍隊を率いさせて救援に向かわせた。

晋の大将、趙同(ちょうどう)と趙括(ちょうかつ)が欒書に攻撃を申し入れ、救援に来る楚軍を攻撃する準備を進めようとした。欒書はこれに同意した。このとき、欒書の部下である知荘子(ちそうし)、范文子(はんぶんし)、韓献子(かんけんし)が進言した。「楚軍はもともと退却していたのに、今また引き返してきたということは、必ず準備を整えてきたに違いありません。決して油断してはなりません。この戦いで勝利しても、楚軍を打ち破るに過ぎず、喜ぶに値しません。しかし、もし敗れれば、必ずや恥辱を受けるでしょう。利害をはかり、この戦いは戦わない方がよい。むしろ軍を引き上げて帰国すべきです。」欒書は彼らの言うことが理にかなっていると感じ、撤兵の準備を命じた。

しかし、軍中には依然として多くの者が楚軍と一勝負を決めたいと考えており、欒書が撤兵を決めたと聞くと、彼にこう言った。「実際、賢人と多数者の考えは一致するものです。心をこめて行えば、事は必ず成し遂げられます。なぜ多数者の意見に従われないのでしょうか?主将として、あなたを補佐する者は11人いますが、そのうち戦闘に反対しているのはたった3人です。つまり、戦いたいと思っている者が多数を占めているのです。なぜ多数の意見に従って行動なさないのでしょうか?」これに対し、欒書は答えた。「正しい意見こそが大多数を代表するのです。知荘子たち3人は晋国の賢人であり、彼らの提言する意見は正しく、大多数を代表しているのです。だから私は彼らの意見を採用するのです。」こうして、欒書は軍隊を撤退させ、帰国させた。

2年後、欒書は軍を率いて蔡を占領し、次に楚を攻撃しようとした。知荘子、范文子、韓献子らは当時の具体的な状況を分析した後、当面楚を攻撃せず、まず沈国を襲撃すべきだと進言した。欒書は彼らの提案が正しく妥当であると考え、沈国を攻撃し、最終的に戦争に勝利した。

欒書は部下の正しい意見を正しく聞き入れたため、人々は彼を称賛して、「良い、正しい意見に従うのは、まるで流れゆく水のように速い」と言った。

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歴史の物語

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