「子産が魚を放つ:善い行いが小さければとて行うのをやめず、悪い行いが小さければとて行うことをしてはならない」
【出典】『孟子・万章上』
【解説】子産(しさん):春秋時代の鄭(てい)の国の人。姓は公孫(こうそん)、名は僑(きょう)、字(あざな)は子産、また子美ともいう。著名な政治家・思想家であり、心が優しく慈悲深い人物を形容するときに用いられる。
【歴史逸話】
春秋時代、鄭の国には賢い大夫(たいふ)である公孫僑がいた。字は子産といい、心根が誠実で思いやりに富んでいた。彼はよく貧しい人々を助け、危難にある人々を救い、善行を好んだ。特に、決して生き物を殺さないことで知られていた。
ある日、友人が子産にいくつかの生き魚を贈った。魚はとても肥えており、料理すればきっと美味しく食べられるだろう。子産は友人の好意に深く感謝し、喜んで贈り物を受け取ると、召使いに命じた。「この魚を、庭の池に放してやれ。」すると召使いが言った。「主人様、この魚はめったにない珍味です。池に放せば、山間の小川のように水が澄んでいませんし、魚の身が緩んでしまい、味も落ちてしまいます。今すぐ召し上がったほうがよいでしょう。」子産は笑って答えた。「ここでは私が決める。私の言う通りにせよ。どうして私は、ただ美味を貪るためだけに、この哀れで罪のない魚たちを殺すことができるだろうか?私はそれが忍びないのだ。」召使いはやむなく命令に従った。召使いが魚を池に放すと、魚たちは水の中をゆったりと泳ぎ、浮いたり沈んだりしていた。その様子を見て、子産は思わず感嘆した。「お前たちは本当に幸運だな!もし他の誰かに贈られていたら、今頃はすでに鍋の中で苦しんでいただろう!」と。
【成長への心の言葉】
孔子は子産を称えて、「仁愛の徳を持ち古の風を伝え、上を敬い、民を思いやる者なり」と言った。子産はその知恵と善良さゆえに、今なお人々の間で語り継がれている。「善い行いが小さければとて行うのをやめず、悪い行いが小さければとて行うことをしてはならない」。善い行いがわずかでも、それをしないでよいわけではない。また、悪い行いが小さいからといって、軽んじて行ってよいわけでもない。なぜなら、人生とはまさにこうした些細な行いの積み重ねだからである。さらに重要なのは、こうした小さな善と小さな悪が、後に大きな善や大きな悪の基礎となるということだ。誰もが善を思う心を持ち、心の中に善があれば、人生は充実したものとなる。人の行動は道徳の規範にかなっていなければならず、自分の良心に恥じないものでなければならない。それが人生の価値を実現するための前提条件であり、また人生の哲学でもある。