【出典】『孔子家語・致思』
【意味】米を借りて親を養うことで、非常に孝行な人を形容する。
【歴史典故】
子路(しろ)は、春秋時代末期の魯国人である。孔子の弟子の中では政治の才で知られ、孔子の得意弟子であり、性格は率直で勇敢、また非常に孝行であった。しかし子路が幼い頃、家はとても貧しく、長年にわたり粗末な穀物や野菜などで暮らしていた。ある時、年老いた両親がご飯を食べたいと言い出したが、家には米が一粒もなかった。どうすればよいのか?子路は、いくつかの山を越えて親戚の家から米を借りてくれば、両親の願いを叶えられるのではないかと考えた。そこで、小さな子路は山を越え谷を越え十数里の道のりを歩き、親戚の家から小さな袋に入った米を背負って帰ってきた。両親が香ばしいご飯を食べるのを見て、子路は疲れを忘れてしまった。近所の人々は皆、子路を勇敢で孝行な良い子だと称賛した。
両親が亡くなった後、子路は南へ旅して楚国に至った。楚王は彼の学問と人柄を非常に尊敬し、馬車百台を有する高官に任じた。家に蓄えられた余りの米は万石に達した。重ねられた錦の敷物の上に座り、豪華な宴を楽しんでいたが、子路はよく両親を思い出し、こう嘆いた。「以前のように、藜藿(リカク)などの野菜を食べ、百里離れたところから米を背負って帰って親を養う生活に戻りたい。だが、残念ながら、それはもう叶わない。」孔子は彼を称えて言った。「あなたは親を養うにあたり、生前は全力を尽くし、死後は思いを寄せている。まさにこれこそ孝行の極みである!」
【成長の心語】
「木は静かにあろうと願うが、風は止まない。子は親を養おうと願うが、親は待ってくれない。」これは、親を失った後で皋魚(こうぎょ)が発した嘆きである。これは子路の心境とよく似ている。孝行とは物質的なもので測れるものではなく、親に対して心から誠実に敬うかどうかが肝要である。親を孝養できる時間は、日々減っていっている。もし時宜にかなった孝行を実践できなければ、一生の後悔が残るだろう。孝養は時機を逃さずに行うべきであり、手遅れになってから親を恋しがり、親の不在を嘆くようなことのないようにしなければならない。しかし、今日多くの子どもたちは、父母や長老を尊重する美徳を欠き、自己中心的で利己的である。考えてみれば、両親を尊重しない子どもが、どうして良い子どもと言えるだろうか?どうして良い生徒と言えるだろうか?成長してから、どうして老人を尊重し、扶養することができるだろうか?どうして家庭や社会の責任を負うことができるだろうか?「生けるときは全力を尽くし、死しては思いを寄せる」――子路は私たちに最も良い手本を示してくれた。