【出典】『宋史・李垂伝』
【意味】趨(はし)る:走り寄る、取り入る。炎(ほのお):熱、栄華、権力を指す。附(つ)く:頼る、寄りかかる。権力や影響力のある人物にへつらい、依存すること。権力者に取り入ろうとする行為を非難する際に用いる。
【歴史典故】
李垂(りすい)は字を舜工(しゅんこう)とし、山東省聊城(りょうじょう)の出身で、北宋の官僚であった。咸平(かんぺい)年間に進士に合格し、著作郎(ちょさくろう)、館閣校理(かんかくこうり)などの職を歴任した。かつては『導河形勝書(どうかけいせいしょ)』三巻を編纂し、旧河道の治水に関する有益な提言を多く行った。博学多才で正直な人物であり、当時の官界で横行するおべっかや取り入るような俗悪な風潮に強い反感を抱いていた。同流合汚を拒んだため、多くの権力者を怒らせ、長らく重用されることはなかった。
当時の宰相・丁謂(ていい)は、阿諛(あゆ)奉承(ほうじょう)が得意な人物であった。卑劣な手段で宋真宗(そうしんそう)の寵愛を得、大きな権力を握ると、さらに権術を駆使して異己を排除し、最終的に朝廷の実権を一手に掌握した。出世や富を望む多くの人々は、彼が手を触れただけで焼けるほど熱い(炙手可熱)ほどの権勢を振るっているのを見て、次々と彼を称賛し、取り入ろうとした。彼の賞識を得て、一気に出世しようとしたのである。
ある人が、李垂が決して丁謂を意識して取り入ろうとしないのを見て不思議に思い、なぜ一度も当時の宰相を訪ねたことがないのかと尋ねた。李垂は答えた。「丁謂は宰相として、率先して模範を示し、公正に政務を処理すべき立場にありながら、逆に権力を笠に着て人をいじめる。これは朝廷からの重い信頼と、民衆の期待に全く応えていない。このような人物に、なぜ私がわざわざお伺いを立てなければならないのか?」この言葉はすぐに丁謂の耳に入り、丁謂は激怒して、理由をつけて李垂を地方に左遷してしまった。
宋仁宗(そうじんそう)が即位すると、丁謂は失脚し、李垂は再び都に呼び戻された。彼を心配する友人たちが言った。「朝廷の大臣たちの中には、あなたの才学の高さを知っている者がおり、知制詔(ちせいしょう)に推薦しようとしている。しかし、今の宰相はあなたを知らない。一度訪ねてみて、あなたのことを知ってもらったら、きっと良いことがあるだろう?」李垂は淡々と答えた。「もし三十年前に当時の宰相・丁謂を訪ねていれば、とっくに翰林学士(かんりんがくし)になっていたかもしれない。だが、私はそうしなかった。今もなお自分の原則を貫いている。大臣が不公平な処置をすれば、その場で直接叱責する。私の年齢になって、どうして権力にすり寄り、他人の顔色をうかがって、彼らの支援を得ようなどとすることができようか?」この言葉はまたしても新宰相の耳に入り、結局、李垂は再び都から追いやられてしまった。