【出典】(後漢)班固『漢書・魏相伝』
【意味】励(はげ)む:励まし、努力する。図(はか)る:はかる、図る。治(おさ)める:政治を行う。精神を奮い立たせ、国家をよく治めようとする意。何かを成し遂げるために、気を引き締めて努力することをたとえる。
【歴史典故】
紀元前74年、漢の昭帝・劉弗陵(りゅう ふくれい)が崩御した。子がいなかったため、朝廷の実権を握っていた霍光(かく こう)は、武帝の曽孫である劉詢(りゅう じょん)を皇帝に立てた。これが漢の宣帝である。
紀元前68年、霍光が病死した。御史大夫の魏相(ぎ そう)は、過去の教訓と霍氏一族の専横ぶりを踏まえ、宣帝に霍氏の権力を弱める措置を取るよう進言した。これにより、霍氏一族は魏相に激しい恨みを抱き、皇太后の命令を装って、まず魏相を殺し、その後宣帝を廃位しようとした。宣帝はこの陰謀を知ると、先手を打って行動を起こし、霍氏一族を皆殺しにした。
これ以後、宣帝は自ら政務を執った。若き日に民間に身を寄せ、苦労を経験していたため、民衆の苦しみをよく理解していた。彼は群臣の意見を直接聞き入れ、各級官吏を厳しく査定・要求し、汚職や法を犯した官吏を厳しく処罰し、残酷な刑罰の一部を廃止した。また、塩の価格を引き下げ、節約を奨励し、農業生産の発展を促進した。
魏相の監督のもと、百官は各々の職務を忠実に果たした。魏相の協力もあり、宣帝は生産の発展を促進し、人民の負担を軽減する一連の有効な措置を講じ、国を繁栄させた。宣帝は25年間在位し、すでに衰退していた西漢王朝に中興の局面をもたらした。これは史的に「宣帝中興」と呼ばれている。
【成長への心の声】
不屈の精神の裏には、揺るぎない信念と、目的を達成するまで決してあきらめない気概がある。漢の宣帝はまさに、この不屈の精神を持っていたからこそ、「宣帝中興」という偉業を成し遂げたのである。つまり、精神を奮い立たせることは、あらゆる事業の成功の根本である。精神を奮い立たせることで、前向きな心構えと高揚した闘志が生まれ、光明を見つめ、勇気をふりしぼり、困難を乗り越え、障害を排除して、理想の目的地へと到達できるのである。