【出典】(後漢)班固『漢書・霍光伝』
【意味】「曲」は曲げる、「突」は煙突、「徙」は移動する、「薪」は薪を意味する。煙突を曲げ、かまどのそばにある薪を遠くに移すこと。災いを未然に防ぐために事前に措置を講じることをたとえる。
【歴史典故】
霍光(かくこう)は字を子孟(しぼう)といい、西漢中期の権臣である。漢武帝(かんぶてい)が臨終のとき、遺詔に従って漢昭帝(かんしょうてい)を輔佐した。漢昭帝が亡くなった後、霍光は昌邑王劉賀(りゅうが)を皇帝に迎え立て、やがて漢宣帝(かんせんてい)を即位させた。霍光は二十数年間政権を握り、漢昭帝、漢宣帝の両帝を補佐し、漢王朝に功績を残したため、博陸侯(はくろこう)に封じられた。
茂陵(もうりょう)の徐生(じょせい)は、霍氏一族の生活が極度に奢侈であることに気づき、何度か漢宣帝に上奏して、霍家を過度に甘やかさず、彼らの奢侈な生活を早急に制止すべきだと訴えたが、朝廷はまったく重視しなかった。霍光の死後、実際に霍光の子孫が反乱を企てていると告発され、漢宣帝はこれを鎮圧するよう命じ、告発や鎮圧に功のあった関係者には賞を与えたが、茂陵の徐生には何の賞も与えられなかった。そこで、ある人物が漢宣帝に次のような話をした。
昔、ある客が友人を訪ねた。客は主人の家の煙突がまっすぐで、その周りに乾燥した薪が積み上げられているのを見て、主人に言った。「煙突を曲げて、乾燥した薪は別の場所へ運び、煙突からできるだけ遠ざけたほうがよい。そうでなければ、火事が起こるだろう。」主人は返事もせず、心の中で思った。「これまで何年も何事もなく過ごしてきたのだから、あえて余計な手間をかける必要はないだろう。」
間もなく、その家は実際に火事を起こした。近隣の人々が次々と駆けつけて消火にあたり、皆の努力によってやっと大火を鎮めた。主人は牛を殺して酒宴を設け、火事の消火に駆けつけた近所の人々に感謝した。火事を消す際にやけどをした人々は上座に座らせ、その他は功績に応じて順に座らせた。主人は杯を挙げて近所の人々の助けに感謝したが、煙突を曲げ、薪を移すように勧めた客のことは、一度も言及しなかった。
すると、ある人が主人に言った。「もし客の忠告に従っていたなら、火事は起こらず、牛を殺して酒宴を開く必要もなかったでしょう。今は火事を消しに来た近所の人々に感謝しているが、災いを未然に防ぐよう忠告した客のことを忘れているのです。」主人はこれでようやく気づき、急いで人を遣わしてその客を招いた。
漢宣帝はこの話を聞いて深く感銘を受け、茂陵の徐生に絹布十匹を下賜し、郎官に任じた。