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かきかき玉を誘い出す

By 故事大全 , 5 September 2025

成語「かきかき玉を誘い出す」の「かき」は投げる、投じるという意味である。「かき」を投げ出して、「ぎょく」を引き出すということである。自分の粗末で未熟な意見や文章を出して、他人のすぐれた意見や優れた作品を引き出すという謙遜の言葉としてよく使われる。「きし」:焼いていない生のれんが、すなわち土のれんがのこと。

この成語は、宋の釈道原の『景德伝灯録』巻十「趙州東院従諗禅師」に由来する。「大衆が夜に集まり、師が言った『今夜、私の言葉を理解する者がいれば出て来い』。その時、一人の僧が出てきて礼をした。諗(しん)が言った『これまでかきを投げて玉を誘い出していたが、今度はきし一つ引き出してしまった』。」

唐代の高僧従諗禅師は、長年趙郡の観音院を主宰していた。彼は弟子たちの参禅に極めて厳しい要求をし、皆が静かに座って心を収め、集中して外界のいかなる妨げにも決して気を取られず、凝然として妄念を止め、心身ともに動かない禅定の境地に至らなければならないと伝えられている。ある日、僧たちが夜に集まった時、従諗禅師は意図的に「今夜、私の言葉を聞いて悟った者がいれば出て来い」と言った。

このとき、弟子たちはみな正座して足を組み、目を閉じ心を静め、動かず揺るがずいるべきだった。ところが、ちょうど一人の若い僧が我慢できず、自分こそが理解した者だとばかりに出てきて礼をした。従諗禅師は彼を一瞥して、ゆっくりと言った。「さっきかきを投げて玉を誘い出そうとしたが、かえってれんがより劣る土塊を引き出してしまった!」

また、「かきかき玉を誘い出す」に関する別の話がある。『歴代詩話』『談証』などの記録によると、唐代の詩人趙嘏(ちょうこ)は、名句「長笛一声人倚楼(ちょうてきいちせい じん よろう)」で大詩人杜牧(とぼく)の賞賛を得て、人々は彼を「趙倚楼(ちょういろう)」と呼んだ。当時、もう一人の詩人常建(じょうけん)という人物がいて、彼は趙嘏の詩才をいつも慕っていた。彼は趙嘏が呉の地に来たと聞き、必ず霊岩寺(れいがんじ)を訪れるだろうと予想し、先に霊岩寺に着いて寺前の塀に二行の詩を書き、趙嘏がそれを見てあと二行を加えて一首の詩を完成してくれるのを期待した。実際に趙嘏が霊岩寺を訪れ、壁に書かれた二行の詩を見ると、たちまち詩情が湧き上がり、自然に後ろに二行を綴って、完全な一首の絶詩に仕上げた。常建の詩は趙嘏の詩ほど良くなかったので、彼は劣った詩句で趙嘏の名句を引き出した。後の人々はこのような行為を「かきかき玉を誘い出す」と呼ぶようになった。実は常建と趙嘏は同時代の人ではなく、それぞれの活動年代は百年以上も離れており、詩を継いだという話は信憑性がない。しかし、この物語が非常に有名であるため、人々はそれを成語「かきかき玉を誘い出す」の出典の一つとして認めているのである。

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歴史の物語

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