By 故事大全 , 1 September 2025 髪を切って首を代える 東漢の末期、曹操は中原を統一し、自らの政治的理想を実現するため、兵を募り、馬を買い、草を蓄え、食糧を貯え、あらゆる手段を尽くして人材を引き寄せていた。曹操の配下には、毛玠(もうかい)と荀彧(じゅんいく)という二人の参謀がいた。ある日、彼らは曹操に二つの提案をした。第一に、皇帝の名を使って天下を号令する「天子を挾んで諸侯を制する(挟天子以令諸侯)」戦略。第二に、農耕を重視し、荒地を開墾して耕作し、多くの食糧を蓄えることであった。
By 故事大全 , 1 September 2025 三顧の礼 東漢の末年、宦官が権力を握り、朝廷の政治は乱れ、各地の英雄たちが次々と兵を挙げた。劉備は漢王朝の皇族にあたる人物で、長年兵を挙げていたため、多くの人々が彼のもとに集まり、彼自身もまた四面八方から人材を求め歩いていた。あるとき、謀士の徐庶が諸葛亮を劉備に推薦した。劉備はこれを聞き、大変喜び、自ら出向いて諸葛亮に会いに行くことを決めた。
By 故事大全 , 1 September 2025 高山流水 春秋時代、楚の国に俞伯牙(ゆはくが)という人物がいた。彼は音律に精通し、琴の腕前も優れており、当時著名な琴の名手であった。伯牙は若い頃から聡明で学ぶことを好み、かつて高名な師について学び、琴の技術は高い水準に達していたが、それでもなお、あらゆる事物に対する感覚を出神入化の境地で表現しきれていないと感じていた。
By 故事大全 , 1 September 2025 管鮑の交わり 春秋時代、斉の国には管仲と鮑叔牙という二人の親友がいた。管仲は家がとても貧しく、母親を養っていた。鮑叔牙はそれを知り、管仲を誘って一緒に商売を始めた。利益が出た後、管仲は多くを受け取り、鮑叔牙は少ない分しか受け取らなかった。人々は口々に「管仲は金に貪欲で、情けがない」と評した。鮑叔牙はこれを聞き、管仲を弁護して言った。
By 故事大全 , 30 August 2025 席を割いて交わりを絶つ(せきをわれてまじわりをたつ) ある時、二人は一緒に畑仕事に行き、菜園の雑草を除いていた。二人は熱心に働き、休む間もなく、すぐに広い範囲の草を除いてしまった。すると、管寧が鍬を振り上げて地面を掘ったところ、何か硬いものに当たった。管寧は不思議に思い、鍬で掘り返した土の塊をよく見ると、黒い土の中で、黄色く光るものがきらめいていた。
By 故事大全 , 30 August 2025 南柯の夢 「隋の末期から唐の初期にかけて、広陵に淳于尊(じゅんうそん)という男が住んでいた。彼の家の庭には、根が深く葉が茂った大きなアカガネバナの木があり、真夏の夜には月が明るく、星がまばらに輝き、木の影が揺れ、夕風が心地よく吹く、涼をとるには絶好の場所だった。淳于尊の誕生日の日、親類や友人たちは皆祝いに集まった。彼は一時の喜びにかまけて、酒を数杯多く飲みすぎた。夜になり、親類友人が皆帰った後、彼は少しだけ酔った気分でアカガネバナの下に一人座り、涼を取っていた。酒に酔ってまぶたが重くなり、気づかないうちに深い眠りに落ちてしまった。
By 故事大全 , 29 August 2025 千変万化 ある日、周の穆王が崑崙山(こんろんざん)から合山(ごうざん)へ帰る途中、偃師(えんし)という男がおり、その技術は非常に巧妙で、作った動物は鳴き走ることもできると聞いた。穆王は半信半疑になり、すぐに偃師を呼び出して、「お前がさまざまな巧妙な品物を作れると聞いたが、一つ取り出して、見せてみよ」と言った。翌日、偃師は木で彫った人形を連れて穆王に謁見した。穆王が見ると、その人形は五官がそろい、眉やひげまでまるで本物の人間のようで、非常に驚いた。
By 故事大全 , 28 August 2025 家を愛すれば烏も及ぶ(愛屋及烏) 伝説によれば、殷商(いんしょう)末期の商の紂王(ちゅうおう)は、極度の贅沢を好み、残虐で道理に反する愚かな君主であった(『助紂為虐(じょちゅういぎゃく)』参照)。「西伯(せいはく)」(西の諸侯の長)の姫昌(きしょう)すなわち後の周文王(しゅうぶんおう)は、紂王に反対したため幽閉され、多くの工夫を重ねてようやく獄中から解放された。当時、周の都は岐山(きざん、現在の陝西省岐山県)にあった。周文王が岐山に戻った後、商朝の支配を覆す決意を固めた。まず軍事家である姜尚(きょうしょう、すなわち姜太公)を軍師として迎え、兵の訓練と戦の準備を積極的に進め、周辺のいくつかの小諸侯国を併合して、徐々に勢力を強めていった。
By 故事大全 , 28 August 2025 要領を得ず 漢武帝が即位したばかりの頃、北方の匈奴から降伏してきた人々は皆、匈奴が月氏(げっし)を破り、月氏王の頭蓋骨を大酒杯として使い、月氏の人々を追いやったため、月氏は匈奴に対して強い恨みを抱いていると語った。彼らは匈奴を攻撃したいが、他の国からの援助を得られないでいた。
By 故事大全 , 28 August 2025 幟を抜き替える(しつをぬきかえる) このことわざは『史記』の「淮陰侯列伝」に由来する。「夜半に発して、軽騎二千人を選び、一人ひとりに赤い旗を持たせ、小道を経て山中に隠れて趙軍をうかがい、戒めて言った。『趙が我らが逃げるのを見て、必ず陣営を空にして追ってくる。そのとき、すみやかに趙の陣営に入り、趙の旗を抜き、漢の赤い旗を立てよ。』」