【拼音】
àn xiāng shū yǐng
【意味】
「暗香」とは、清らかで幽玄な香り。「疏影」とは、まばらに伸びる枝の影。もとは梅花(ばいか)の香りと姿態を描写する言葉であり、後に梅花の別称として用いられるようになった。
【出典】
宋・林逋『林和靖集・巻二・山園小梅』の詩:
「衆芳揺落独暄妍、占尽風情向小園。
疏影横斜水清淺、暗香浮動月黄昏。」
解説:多くの花が散り落ちる中、ただ梅花だけが寒風に凛として咲き誇り、その明るく美しい景色が小園の風情を独占している。まばらな枝の影が、清らかで浅い水面に斜めに映り、幽玄な香りが黄昏の月明かりの下に漂っている。
【成語の故事】
北宋の時代、林逋(字は君復)という有名な隠士がいた。漢民族で、浙江の大里黄賢村出身(一説では杭州の銭塘)。幼少期から勤勉に学び、経書や史書、諸子百家の学問に通じていた。書物には、彼の性質が高潔で自らを愛し、静かな生活を好み、栄利を追わなかったと記されている。成長後は江淮地方を遍歴し、後に杭州の西湖に隠棲して、孤山に草庵を結んだ。よく小舟を操り、西湖周辺の諸寺を巡り、高僧や詩友と交流を重ねた。客が来ると、門番の子が鶴を放ち、林逋は鶴を見るやいなや小舟を漕いで帰った。詩は書き終えれば直ちに捨て、残さなかった。1028年(天聖6年)に没した。甥の林彰(朝散大夫)、林彬(盈州令)が杭州に赴き、葬儀を礼を尽くして執り行った。宋仁宗は彼に「和靖先生」という諡号を賜った。林逋は西湖の孤山に隠棲し、一生官職につかず、結婚もせず、ただ梅を植え、鶴を飼うことを好み、「梅を妻とし、鶴を子とする」と自ら言い、人々から「梅妻鶴子(ばいさいかくし)」と呼ばれた。
林逋は『山園小梅』という詩を詠んでおり、その中に次のような句がある。
「衆芳揺落独暄妍、占尽風情向小園。
疏影横斜水清淺、暗香浮動月黄昏。」
これはすなわち、多くの花が散り落ちる中、ただ梅花だけが寒風に凛として咲き誇り、その明るく美しい景色が小園の風光を占め尽くしている。まばらな影が清らかな水に斜めに映り、幽玄な香りが黄昏の月光の下に漂っている、という意味である。
「疏影横斜水清淺、暗香浮動月黄昏」という一連の詩句は、梅花の気品と風姿を極めて見事に描き切っている。その精神は清らかで骨格は秀でており、高潔で端麗、幽玄かつ超俗である。特に「疏影」「暗香」の二語の使い方が極めて優れている。これは、梅花が牡丹や芍薬とは異なる独特な姿態を持つことを描写しているだけでなく、桃や李の濃厚な香りとは異なる、独自の清らかな芳香を表現している。詩人が朧な月明かりの下で梅花の幽玄な香りを感じ取る様子を、非常にリアルに表現しており、ましてや黄昏の月の下、澄んだ水辺を歩くときの静謐な情景、淡い梅の影、絶え間なく漂う香りに、心が陶然と酔いしれることを伝えている。
林逋は梅花をもって自らを喩え、中国の伝統的な文人の一貫した志向を示したが、同時に独自の特色も持っていた。「疏影」について、欧阳修は「前世に梅花を詠んだ者は多かったが、このような句はなかった」と評した。この句が特に有名になったため、「疏影」「暗香」の二語は、後世の人が梅花を詠った詞(詩の一種)の題名として用いられるようになった。例えば、姜夔(きょうけい)は梅花を詠った二つの詞を『暗香』『疏影』と題した。以後、これらは梅花を詠う文学の専門用語となり、林逋の梅花詩が後世の文人に与えた影響の大きさが窺える。