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結草啣環(けっそうかんかん)

By 故事大全 | 2025-09-08 16:00:29

結草啣環:常に感謝の心を忘れない

【出典】『左伝・宣公十五年』、『後漢書・楊震伝』

【意味】恩に報いること、死んでも忘れない深い感謝を喩えることば。

【歴史逸話】

「結草(けっそう)」の逸話は『左伝・宣公十五年』に見える。春秋時代、晋国の魏武子には愛妾がいた。魏武子が病にかかったとき、息子の魏顆(いこう)に言った。「私が死んだら、必ず彼女を他家に嫁がせよ。」間もなく魏武子の病状が重くなり、再び魏顆に言った。「私が死んだら、必ず彼女に私と共に殉じさせよ。」魏武子が死んだ後、魏顆はその愛妾を殺して殉葬せず、他人に嫁がせた。魏顆は「人は病が重くなると、精神が混乱する。私は父が正気の沙汰であったときの命令に従ったのだ」と言った。

その後、秦の桓公が晋を攻め、晋軍と秦軍が晋の地・輔氏(現在の陝西省大荔県)で戦った。晋将の魏顆と秦将の杜回(とかい)が出会って激しく戦った。激戦の最中、魏顆は突然、老人が草で編んだ縄で杜回を縛り、堂々たる秦の力士が立っていられず、地面に倒れて即座に魏顆に捕らえられるのを見た。これにより魏顆はこの戦いで秦軍を破った。

晋軍が勝利して帰還した夜、魏顆は夢の中で、昼間草の縄で杜回を倒した老人に会った。老人は「私はあなたが、父の殉葬にさせず、嫁がせてくれたあの女性の父です。今日私がこうしたのは、あなたの大きな恩徳に報いるためです!」と言った。

「啣環(かんかん)」の逸話は、『後漢書・楊震伝』の注釈に引く『続斉諧記(じょくさいかいき)』に見える。楊震の父・楊宝(ようほう)が九歳のとき、華陰山の北で、鷹に傷つけられた黄鳥が木の下に落ち、アリに囲まれているのを見た。楊宝はそれを哀れに思い、家に連れて帰り、巾箱(きんばこ)に入れて、ただ黄色い花だけを餌として与えた。百日後のある日、黄鳥の羽が十分に生え揃い、飛び去っていった。その夜、黄色い衣を着た少年が楊宝に礼を述べ、「私は西王母の使いです。あなたが仁愛を持って救ってくれた恩を、心から感謝します」と言い、楊宝に白い玉の輪四つを贈って、「これにより、あなたの子孫は三公の位にまで昇り、清廉に政治を行い、世の中を渡るとき、この玉輪のように清らかで瑕のない行いをするでしょう」と言った。

実際に、黄衣の少年の言った通り、楊宝の息子楊震、孫の楊秉、曽孫の楊賜、玄孫の楊彪の四代にわたり、皆太尉(たいい)の位にまで達し、皆剛正不阿で清廉な政治を行い、その美徳は後世に称えられた。

後世、「結草」と「啣環」を合わせ、「結草啣環」として今日まで伝えられ、恩に報い、死んでも忘れないことを喩えるようになった。

【成長へのメッセージ】

普段、誰かが自分に恩を施してくれたら、「結草啣環」という言葉を使って、感謝と報恩の意を表すことが多い。感謝の心を持つ心は、この世に存在する最も美しい心であり、感謝を知る生命は、この世を生きる中で最も尊敬に値する存在である。同時に、この二つの逸話は、「善行には善報がある」「善行が小さくても決して見くびってはならない(善小なるもなすをなすべし)」という教訓を人々に与えている。

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