東漢の時代、都洛陽の太学府(たいがくふ)は、儒教の経典を教える最高学府であった。府内には皆が博学な学者たちで、その官職はみな「博士」と呼ばれていた。ある年の春節、太学府は祝いの雰囲気に包まれていた。博士たちは提灯や飾りを掲げて忙しく動き回り、まもなく届く皇帝の詔書(しょうしょ)を待っていた。やがて、太学府の外で太鼓やラッパの音が響き渡った。明らかに、皇帝が博士たちに祝いの使者を送ってきたのだ。さらに皆を喜ばせたのは、詔書に皇帝が博士たちが春節を楽しく過ごせるよう、特別に一人一頭の羊を下賜(かし)すると書かれていたことだった。
しかし、羊たちが連れて来られると、太学府の幹部たちは困ってしまった。羊は大きさもまちまちで、肥えているものもあればやせているものもあり、どうやって公平に分配すればよいのか。
ある者は、すべての羊を屠殺(とさつ)して肉を分け、肥えたものとやせたものを組み合わせ、一人ずつ均等に分ける案を出した。ある者は、それが面倒で、気品にも欠けると考え、くじ引きを提案した。大きさや肥満度は運に任せ、小さい、やせた羊を引いても他人を恨むことはできない。また別の者は、屠殺して分ける方法もくじ引きも完全に合理的ではないと思うが、より良い案も思いつかなかった。人々は七嘴八舌に議論したが、十全な解決策は見つからなかった。
そのような中、普段は寡黙な博士・甄宇(ちん う)が立ち上がり、「一人一頭ずつ連れて行くのがよい。くじ引きなどする必要はない。私がまず一頭連れて行こう」と言った。
皆の視線が一斉に甄宇に集まった。彼は羊の群れに近づき、左から右へとじっくりと見渡した。そのとき、ある者は心の中で思った。「この男はきっと、一番大きく太った羊を選ぶに違いない。もし皆が先に大きい羊を連れて行ってしまったら、残りの小さい羊は誰が持っていくのか?」だが甄宇はしばらく見回した後、真っすぐ小さくてやせた一頭の羊の前に行き、それを連れて去っていった。
敬意は怒りを解き、譲り合いは争いを鎮める。争っても得るものはないが、譲れば余裕が生まれる。こうして、もともと気にも留めない博士たちも甄宇にならって、小さい羊を連れて行った。争おうと思っていた博士たちも、恥ずかしくて争えず、かえって互いに譲り合い、皆が満足しながら羊を連れて帰った。
この出来事は後に洛陽中に広まり、人々は甄宇を称え、「痩せ羊博士(やせひつじはくし)」というあだ名をつけた。
人々は皆、「痩せ羊博士」には第一等の学問があると褒めたたえた。だが、真の第一等の学問とは何だろうか?呂坤(りょ こん)は『呻吟語(しんぎんご)』の中で簡潔かつ的確に述べている。「他人の立場に立って考えること、それが第一等の学問である。」