湘西の「梅山娘娘」の伝説

湘西の沅陵県沅陵鎮の南門、杏渓沖にはかつて「梅山殿」という祠が存在していた。ここには、地元の土家族が崇拝する狩猟の神「梅山娘娘」が祀られていた。もともと、土家族の宗教的信仰は漢族の影響を深く受けており、山神を迷信し、先祖を崇拝していた。土家族の先祖は狩猟に長けており、「梅山神」は彼らが信仰する狩猟の神であった。猟師たちは狩猟の前後には必ず「梅山を安める」祭祀儀式を行い、「梅山娘娘」に供物を捧げた。 古く、湘西の沅陵は山が高く、森が茂り、虎や豹が特に多く生息していた。何年も前、武陵山中の沅水のほとり、鶴鳴山と梧桐山の間の谷には、虎豹が群れを成して跋扈していたため、「興虎沖」と呼ばれるようになった。この興虎沖に、梅姓の猟師が住んでおり、彼には一人の娘がいた。二人は互いに依り添って暮らしていた。その娘は生まれつき聡明で、杏のような目と赤い唇を持ち、美しさは比類なく、猟師の父は娘を掌上の明珠のように愛し、娘を立派に育て上げようと心に誓っていた。 娘は幼少期から鳥獣の言葉を理解し、性格は男の子のように活発だった。昼間は子犬と遊び、夜は小ウサギを抱いて眠り、いつも明るく笑顔だった。また、彼女は勤勉で、何を学んでも一回で理解し、すぐに習得できた。五歳の時には刺繍を覚え、彼女が刺した花はまるで生きているかのように鮮やかだった。七歳の時には「咚咚奎」という笛を吹きこなして、花を咲かせ、鳥の鳴き声を呼び寄せた。九歳になると、家事全般をこなすようになり、柴を拾い、水をくみ、洗濯をし、料理をすることまででき、父の頼もしい助っ人となった。 十五、六歳になると、娘は父と共に山へ猟に出かけるようになり、最初は父が反対したが、娘が何度も懇願したため、父はついに許可した。娘の悟性は非常に高く、父の猟の技をすぐにすべて習得した。さらに、彼女の弓の腕は優れ、左右両手で正確かつ遠くまで射ることができ、鳥獣の言葉を理解し、力も尋常ではなかった。そのため、山へ出れば彼女は必ず獲物を仕留め、百発百中だった。しかし、彼女は妊娠中の獣を冬に撃たず、巣で卵を温めている鳥を春に撃たなかった。 娘が毎日仕留めた獲物は、九渓十八洞の猟師たち全体の合計よりも多かった。毎回、獲物は山のように積み上がり、満載の担ぎ棒一つ分だった。娘は獲物を得た後、村の慣習に従い、獣の頭部を残し、獲物を山中のすべての土家族に分け与えた。武陵山一帯の人々は皆、彼女を大変好いていた。彼女が山中を頻繁に駆け回っていたため、人々は彼女を「梅山娘」と呼んだ。 猟の技と効率を高めるため、梅山娘は鉄工に頼んで土火銃を発明し、クマを機敏に仕留めることで、土家族の生活がクマの脅威から解放された。梅山娘の名は一躍広まり、土家族の間で深く尊敬された。 梅山娘は武陵山のあらゆる山々を歩き回り、九九八十一頭のイノシシ、七七四十九頭の豹、五五二十五頭の虎、さらに百頭以上のヤギ、千頭以上のキジを仕留めた。家の中には獣の皮が山のように積み重なり、獣の頭部は壁一面にぶら下げられていた。 ある日、突然、武陵山に七頭の猛虎が現れたという噂が広まった。たった三日二晩のうちに、九頭の羊が殺され、九頭の牛が連れ去られ、九人の通行人が噛み殺された。村中はパニックに陥り、家々は戸を閉ざし、誰も牛羊を山に連れ出せず、外出もできず、猟にも行けず、通りがかる商人さえ姿を消した。梅山娘はその話を聞き、村民のためにこの七頭の猛虎を絶つことを決意した。 翌朝、梅山娘は先祖を拝み、乾パンを携え、牛角の三叉槍を手に、老猟師の父に別れを告げた。父は同行しようとしたが、年老いて力が及ばず、梅山娘に一人で行くように促した。 梅山娘は山を駆け上るときは馬のように速く、下りるときは矢のように速かった。彼女は九つの山を一気に越え、九つの小川を渡り、大樹の下で一息つき、二つのトウモロコシの団子をかじり、山の湧水を数口飲んだ後、頂上に登り、ひたすら虎の足跡を探し続けた。梅山娘は虎の足跡を見つけ、全力で一頭ずつ虎と闘った。 その日、梅山娘は朝から夕方まで、次々と六頭の虎を仕留めた。しかし、六頭目の虎との戦いの最中、牛角の三叉槍が二つに折れてしまった。梅山娘は半分になった牛角槍を握り、空を見上げると、太陽はすでに沈み、鳥たちは森に帰っていた。前方には断崖絶壁、万丈の幽谷が広がっていた。彼女自身も疲労困憊していたため、明日再び最後の一頭を探すために下山しようとした。 そのとき、梅山娘が下山しようとした瞬間、突如、狂風が吹き、一頭の虎の咆哮が響いた。その猛虎は、彼女の目の前二丈のところに現れ、血まみれの口を開き、両目からは緑の光が放たれ、額には明確な「王」の字が浮かび上がった。そして、猛虎は一躍して梅山娘に飛びかかった。梅山娘は体を丸めて身を避け、猛虎は空を切った。梅山娘は虎が地面に着地した瞬間、手に持つ半分の牛角槍を虎の頭部に向けて投げつけた。 しかし、猛虎は頭を急に振り向かせ、その槍は虎の耳に突き刺さった。虎は体を反転させ、再び梅山娘に襲いかかった。梅山娘は虎の猛攻に備え、空中で飛びかかる虎をすかさず抱きつき、虎の首を両手で強く絞め上げた。彼女の十本の指は虎の肉に食い込み、虎の首からは血が流れ、それでも梅山娘は必死に絞め続けた。虎の後ろ足は梅山娘の衣類を引き裂き、全身に傷を負わせたが、梅山娘は一切手を緩めず、虎の首を絞め続けた。虎は激しく苦しみ、暴れ回って梅山娘を振り落とそうとした。梅山娘は力を振り絞り、虎とともに万丈の幽谷へと転げ落ちた。 ……その夜、老猟師は梅山娘が帰ってこず、一夜中眠れなかった。翌朝、日が昇るやいなや、彼は山へ梅山娘を探しに出かけた。村の土家族たちはその知らせを聞き、皆で山に登って探した。彼らは山肌と峰の上で六頭の虎の死体を見つけ、梅山の断崖の幽谷の底で、梅山娘が仕留めた第七頭の虎の死体を発見した。しかし、梅山娘自身は、遺体も足跡も見つからなかった。 人々が四處捜索している最中、数日後、梅山娘は自ら村に帰ってきた。 実は、梅山娘と最後の虎が断崖から転落した際、空中で天神に救われたのだ。天神は梅山娘を天界に連れて行き、狩猟の神として封じ、山中のすべての獣を統べる権限を与えた。しかし、梅山娘は父を離れられず、再び山里に戻ってきたのである。 この知らせが土司王の耳に入ると、土司王は媒人を送り、数え切れないほどの宝物を贈り、梅山娘を側室に迎えようと企んだ。しかし、梅山娘は断った。土司王は怒り、梅山娘を牢獄に閉じ込めた。それでも梅山娘は決して従わなかった。 土司王は梅山娘が従わないのを知り、娶れないなら殺すしかないと思い至った。 家来が策を思いついた。「無実の罪で殺せば民衆の怒りを買うだろう。私に一つの計がある。彼女を確実に殺すことができる。」そこで家来は牢獄へ行き、梅山娘に言った。「土司王に嫁ぐ必要はないが、一つ条件がある。北山に巨大な虎がいる。それを倒せば、お前を解放する。」 梅山娘はそれを真に受け、夜中に北山へ向かって虎を狩りに出かけた。山に登った直後、木々の間から一頭の斑紋を持つ猛虎が飛び出し、咆哮しながら梅山娘に襲いかかり、一撃で彼女を飲み込もうとした。 梅山娘は一瞬驚いたが、すぐに冷静さを取り戻し、虎の三度の飛びかかりを避け、手に持つ短い柴刀で虎と生死をかけた戦いを繰り広げた。 戦いの中で、彼女の衣は虎の爪で千切られ、蝶のように風に舞い散った。肩、背中、手首、太ももには至るところ傷がつき、血が流れ続けたが、虎はまったく優勢を得られなかった。虎の額や体中は、梅山娘の柴刀で切り裂かれ、傷だらけだった。そして、彼女は歯を食いしばり、最後の力を振り絞り、柴刀の刃と柄をすべて虎の命の穴に突き刺した。ついに、あの狡猾な猛虎を倒すことに成功した。 しかし、梅山娘が虎を倒し、帰路についた瞬間、土司王が事前に仕掛けた罠に足を踏み入れてしまった。罠の脇に潜んでいた家来は、侍従たちに指示し、一斉に矢を放たせた。梅山娘は即座に矢に貫かれ、命を落とした。 この悲報が村に伝わると、民衆は激怒し、土家族は一斉に蜂起して、梅山娘の復讐を叫びながら土司王の宮殿に突入し、家来を乱刀で斬り殺し、土司王自身も粉々に切り刻まれた。 梅山娘は死後、梅山神となり、人々の狩猟を司る神となった。梅山神は暗に土家族の猟師たちに獲物を与え、彼らを守護した。それ以来、土家族は梅山娘が化身した梅山神を祀り、狩猟の神として崇めた。同時に、興虎沖に「梅山殿」を建立し、土家族の猟が安全で豊かであるよう、永遠に守護するようになった。 虎が土家族の猟師によって次第に減ったため、興虎沖は沅水のほとりにあり、古代の人々は水から少し離れた平地を「渓」と呼んだ。この地は杏の木が豊かに生い茂っていた。また、梅山娘は杏のような目と赤い唇をしていた。 梅山娘を偲んで、人々は「興虎沖」を「杏渓沖」と改名した。 それ以来、土家族が山へ猟に出かけるとき、または獲物を持って帰ってきたとき、必ず梅山神に敬意を表した。山に入る前には、まず香を焚き、紙を焼いて梅山神に祈りを捧げてから出発した。これを「梅山を開く」と呼んだ。梅山神に祈らないで山に入ると、獲物の足跡が見つからず、あるいは猟銃が発射できず、仲間を獲物と間違えて撃ってしまうという恐れがあった。 武陵山中のすべての獣は梅山神の命令に従うと信じられていた。山に入る際には梅山神に祈って、獣たちを一まとめにしてくれるように頼み、獲物を得た後には梅山神に感謝を捧げた。梅山神を拝む際には、服装を整え、心を虔誠にしなければ、効果がないとされた。 そのため、多くの猟師は他人に見られないよう、密かに祭壇を設けて、梅山神を拝んだ。自宅の横や裏の静かな場所に、山に入る方向に向かって梅山神の位を設け、空に向かって祈った。これは、他人が戯れたり、梅山神を不敬に扱うのを防ぐためであった。 それ以来、武陵山地帯に代々住む土家族は、個人の狩猟を好んだ。獲物を得た後は、梅山娘の教えに従い、「山に入れば、誰もが分ける」原則で獲物を分配した。 獣が倒れた後、参加者全員の人数を確認し、獲物を家に運び、まず梅山神(狩猟神)に捧げた後、処理して、分割した。死んだ獣の頭部を首の付け根から切り、頭部を含めたすべての部分は、最初に銃を発射した、または最初に矛を突き刺した猟師のものとなった。 二回目に撃った者、または二回目に矛を突き刺した者は「二彩」と呼ばれ、豚の脚一本を分け与えられた。その他の部位は、全員で均等に分けた。獣が倒れたのを見た者全員が、必ず一割をもらうことができた。これを「山を追って肉を分ける、見れば誰もが得る」と呼んだ。 肉を分ける際には、各々の分を棕櫚の葉で束ね、かごに並べ、その上に別のかごを被せ、棕櫚の葉だけを外に見せるようにした。肉を取り出すときは、かごを数回転させ、誰も肉の良し悪しが見えないようにした。各人が棕櫚の葉で束ねられた肉を取るが、良いか悪いかは誰にもわからない。誰も不満を言わなかった。イノシシの心臓と肺は、猟犬に与えられた。 その他の内臓と四つ足は一鍋で煮て、皆で一緒に食べ、猟の勝利を共に祝った。この儀式により、猟と分配が完了したとされた。 この伝説と習慣は、土家族によって代々伝えられ、今日に至っている。その間に、多くの神秘的で不思議な痕跡が残されている。土家族のこの梅山女神への崇拝は、古代ギリシャの狩猟女神ディアナのように、原始的で古くから続くものである。