家を愛すれば烏も及ぶ(愛屋及烏)
伝説によれば、殷商(いんしょう)末期の商の紂王(ちゅうおう)は、極度の贅沢を好み、残虐で道理に反する愚かな君主であった(『助紂為虐(じょちゅういぎゃく)』参照)。「西伯(せいはく)」(西の諸侯の長)の姫昌(きしょう)すなわち後の周文王(しゅうぶんおう)は、紂王に反対したため幽閉され、多くの工夫を重ねてようやく獄中から解放された。当時、周の都は岐山(きざん、現在の陝西省岐山県)にあった。周文王が岐山に戻った後、商朝の支配を覆す決意を固めた。まず軍事家である姜尚(きょうしょう、すなわち姜太公)を軍師として迎え、兵の訓練と戦の準備を積極的に進め、周辺のいくつかの小諸侯国を併合して、徐々に勢力を強めていった。