そこで劉邦は酈食其の提案を受け入れ、まず陳留を攻め取ることを決意し、酈食其を内応役に任命した。酈食其は县城に入り、陳留の県令に陳勝・秦の将、漢王の興隆の道理を説き、劉邦に降伏するよう勧めた。しかし県令は秦の厳しい法律を恐れ、軽々しく行動できず、断った。その夜半、酈食其は県令を殺害し、その首を城壁から下して、劉邦に知らせた。劉邦は大事が成ったと見なし、兵を率いて县城を攻撃し、竹竿に県令の首を突き刺して、「さっさと降伏しろ! お前の県令は既に斬首された! そうでなければ、城を落とすのが遅れた者も斬首されるぞ!」と大声で叫んだ。城上の守備兵は県令が死んだのを知り、守る気を失い、城を開いて降伏した。劉邦は城に入り、「その倉庫の兵器と食糧、蓄えられた穀物を手に入れ、三ヶ月分の兵糧を確保し、兵数は数万に達し、ついに秦を破った。」これはすべて高陽の酒徒の功績である。